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懐かしいですね。この頃の阪和線はくろしおが全て天王寺発着で381系車両がめちゃくちゃカッコよくてホントよく阪和線ホームの優等改札の外から眺めていました。屋台の立ち食いうどんがまた旨かったです。あと阿倍野近鉄百貨店のロゴマークが懐かしい。貴重な映像ありがとうございます🤗
天王寺1,2番ホームの詰めにあった立ち食いうどんのことなら語らせてください。屋台で火種が弱いので(練炭?)出汁はぬるめなのですが、うどんを入れるプラスチックの椀が小さめでうどんが鉢から盛り上がっていました。注文すると先に割り箸と七味をくれ、順番にどんどんうどんあるいはそばが渡されていくのです。もちろん、椀がちいさいので七味の袋を破いて全部入れると多いのですが、椀からはみ出たうどんと七味、ぬるめの出汁の味が忘れられません。わたしは、朝、登校時に食べていました。朝は、わたし同様、出勤前のサラリーマンが多かったです。
懐かしい1976年キハ82くろしお乗って白浜まで家族旅行しました。当時ホ―ム後ろ寄り車両止めあった付近で立ち食いうどんスタンドで みんなで蕎麦を食べてから くろしおに乗りましたよディ―ゼル煙と匂いと動物園からの匂いがする紀勢線ホ―ム味があって良かったです‼️
立ち食いうどん私も何回も食べました。今はリニューアルされて綺麗な店舗になってますが、天王寺によると必ず食べたくなるお店です。向かって反対側には売店が並んでて、シュークリーム売ってました。最近その売店は閉店されたそうで残念です。
@@kkh400 はじめまして立ち食いうどん知ってる方がいてうれしいです。旅の前の一杯格別ですよねありました反対側に売店やシュ―クリ―ムの店懐かしい記憶が甦りましたよあの時代に戻りたいですね
@@Lucky-tw4xe 本当に、私も1980年代に戻りたいです。駅で食べるそばはなんであんなに美味しかったんだろう。
幼少の思い出。うどん屋と四角いお茶が贅沢でした。
天王寺の阪和線のホームにあった立ち食いうどんは出汁が美味しくて出張で来たビジネスマンが魔法瓶に出汁を入れてもらって持ち帰るほどでした。
懐かしい映像ありがとうございます。子供の頃、新宮のおばあちゃん家行く時に母とよく乗りました。たしかあの頃は改札付近に立ち食いうどん屋がありましたよね? ディーゼルの排気ガスの匂いとうどん屋の匂い、懐かしいです。
有難うございます特に、そのうどん屋さんには想い出があり、写真を撮っておけば良かったと悔やんでおります。
急行きのくにの車内のなんとも言えない焦げたような匂い、それでいて温かみのある匂いは忘れられません。現在でも稀にこのキハに乗る機会があるけどなぜか無臭に近いのです。
紀勢線直通ホームから出かけるのがなつかしいです。旅に出る実感。車止め横の立ち食いうどんを毎日帰りに食べていたバブル全盛期です。
南紀直通列車のホームだった天王寺駅①②番ホーム…ディーゼルのくろしお、きのくに…阪和線の電車ホームからは当時は新鋭だった113系や旧型国電の快速や区間快速が出て…夜になれば客車の南紀号が現れ…今の若いファンが見たらヨダレモンでしょうね😄✌️
機関車付け替えで渡り線降りて寺田町駅の横まで入れ替え作業で使ってました。見に行くのがうれしかった
いやー懐かしすぎます。ちょうどこのころ美章園に住んでいて鉄道大好き小学生でした。EF58の写真は愛称が一時なかったころの「はやたま」の機回しかな?ただ、そうなら客車つきの推進運転の筈なので、ちょっとよくわかりません。「南紀」は天王寺には無かったように記憶してます。確か竜華から回送してきたら、地上線(環状線の脇)で付け替えしていたので、58が単機で来るのが・・・。また、旧型電車もたまらない。屋根補強のために客室中央に鉄棒が縦に立っていて、よく360度急回転で鬼ごっこやったなー。1番線の機回し線、存在の記憶が怪しかったのですが、鮮明に思い出しました。鉄道荷物の搬入口もありましたし、専用改札など本当に見どころの多い駅でした、現在からは考えられません。くろしおやきのくに号、本当に超大編成、先頭にキハユニを繋げてるのもあったかなー。貴重な写真、実にありがとうございます。
有難うございます。私も小学生でほぼ初めて撮った写真になります。この専用改札あたりのうどん屋さんで、「きつねそば」とこれも初めて頼んでみたのですが「たぬきやろ!」とおばちゃんに叱られた?のが未だに忘れられない懐かしい思い出です。
@@hawk2567 昭和47年なら、素うどんは1杯 40円 でした(ネギと蒲鉾1切れ入り) ああっ、腹減ってきた
懐かし写真。ありがとうございます。当時、毎日天王寺駅を利用していまし。
和歌山駅発の113系【新快速】に一度だけ乗車した事が 有ります。ドアが閉まると同時に“爆走モード”に突入!「モーターが焼け焦げる!」位のフル回転音と「脱線する!」程の激しい横揺れ…。何せ、途中『鳳駅』にも停車して僅か45分間で終点の天王寺駅に到着しないといけないのですから…。“スリル”と“恐怖”そして“緊張感”の味わえる一時でした。懐かしいなぁ~(笑)
まだ「きのくに号」が準急だったとき父母と一緒に白浜いったのを記憶してます、いろんな電車にワクワクしたものです。父は死んだが母は今も元気です
俺は鉄道オタクでは、ないけど、、、見た。本当に懐かしい。ありがとう。考えたら電車は私達の生活に密着してるなぁ。本当に良い物見せていただいた🎉
阪和線ホームに立ち食いうどん屋さんが有って、出汁の良い匂い釣られて、よく食べてました、懐かしい
そう!全く同感です!意外と美味くて賑わっていた記憶があります。あの当時はいろんな型式の車両があったんですね。ちなみに僕はディーゼル車両のくろしお号は乗った事も見た事もありません。記憶には381系くろしお号“振り子電車”とも言われていた車両しか残っていません。
その頃の急行きのくには、途中の和歌山駅で南海なんばから南海仕様の急行型気動車2両<南海線内は特急扱い>と連結して南紀方面へ走行していた。
昔の近鉄百貨店の場所が今は天王寺ミオで見えないなぁと思ったら、引いてくれてハルカスがど~んと現れたのが印象的
天王寺懐かしい
懐かしいですね。子供の頃、白浜へ海水浴に出かけた事が思い出されます。
天王寺駅が、頭端式ホームなので、優等列車などに乗ろうとすると、これから旅に出るんだな という実感を強く持ちました。阪和線等には、まだ旧型国電がたくさん走っていました。夜には、EF58牽引の夜釣り用の普通列車の夜行列車も出ていました。その機回し線でしょうか?紀勢線では、紀勢線昭和53年10月の電化完了後にも、阪和線から直通してくるキハ58系等急行「きのくに」(昭和60年3月改正で廃止。夜行列車や臨時列車は除く。)や、もっと古い時代より南海電鉄から和歌山市駅を経て紀勢線に乗り入れていた南海電鉄のキハ5500系の非冷房で夏は窓全開急行の「きのくに」(昭和60年3月改正で終了)の記憶も忘れられません。阪和線の貨物列車等は竜華(りゅうげ)機関区などのED16,EF15,ED60などでしたが、さらに古い時代には、竜華機関区のEF52なども走っていました(貨客とも)。EF52はその後、昭和40年代後半ごろに、EF58に置き換えられました。
天王寺駅の阪和線ホームでは、近年まで特急くろしお号の発車時間近くに「くろしお号は、15番のりばからの発車です。このホームからの発車ではございません。」とアナウンスが入っていました。かつて、優等列車の発着専用ホームであった事を偲ぶことが出来るものでしたが、いつしか聞かなくなりました。
生まれる前の阪和線の姿が見られて楽しかったです!
紀勢本線ホームの①番線②番線は、ホーム高さが920㍉でその他の国電ホームは1100㍉だった記憶がありますが、紀勢本線新宮電化後に全てのホームを1100㍉に統一しましたね。
天王寺駅・・・今も昔も変わらないなと思いましたが、こうして比較すると、各ホームにありました丸形大時計も消えてしまい、環状線からの連絡線も消え、1・2番の優等列車ホームも専用改札が消えて活気も消えてしまいました。そういえば、天王寺名物だった屋台のウドン屋さんも無くなってしまいましたね。
うどん屋さんやはり屋台のような感じでしたよね、凄く印象に残っています。あと、鳩が沢山いたのに今は全くいませんでした。
私が小学校~中学校時代の天王寺駅と現在の天王寺駅で劇的に変化しました。1983年の快速8両運転によるホーム延長とこ線橋整備に伴い1番線横の着回し線をなくしてホームを北側にスライドさせたこと、近鉄百貨店が高層ビルあべのハルカスに生まれ変わったこと、そして何よりも天王寺駅に発着する車両の世代交代が印象的です。国鉄時代を知る車両も、今はもういません。
一番線ホームはスライドしたんですね。屋根の柱が昔と違っていたので不思議に思っていました。
@@hawk2567 5・6番ホームと7・8番ホームの終端が狭くて跨線橋を掛けるスペースがなかったため、機回し線を寺田町寄りに移設して撤去し、ホーム移設および拡張スペースを確保しました。そのため4・5番線は屋根の中心から北側に大きくずれることになりました。
1982年に「はやたま」乗ったら、その工事の為にB寝台が所定2両から減車で1両になってました😉
屋台のうどん屋さん、おいしかったですね。練炭のにおいさせて営業されてました。
今とさほど変わっていない天王寺駅、くろしおの381系を迎えるファンも常識的に白線の内がからの写真撮っていますね。いい時代❣️
駅北口の猪木工務店のビル看板(同社のテナントビル)は、ロゴが変わったが現在もあります
懐かしい😂国鉄天王寺駅 ‼️
当時の特急、急行は長い編成で今と比べられない多くの人々を乗せ紀州路の主役として君臨していました。
阪和紀勢線一番国鉄線で好きでした。くろしおのカッコよさきのくにそして70系や旧国電、103も113系…桃ヶ池公園で魚釣りしながらくろしおや70系が来るとワクワクしましたよ、何時か乗りたいと…その後夏和歌山の友達の親戚とこに泊まり、行きはきのくに、帰りは紀伊田辺からくろしお、10両編成でしたが先頭車は82。そして何と食堂車で食事しました!今でも忘れられないシーン。
ちょっと鉄に興味を持ちだした頃(小学校高学年)阪和線と片町線は旧型国電まだいたのになぁ^^;昭和53年以降はめったに見なくなってた^^;くろしおブルドッグのさよなら運転(さよならサボがないから昭和53年の10月1日)を山中渓の駅付近で撮ったものがあるがその時の行き帰りも旧型国電の記憶がない^^;
私もキハ81さよなら運転を紀の川の鉄橋で撮影した写真を見つけましたが、確かに旧国電は既にいなかったようですね。
阪和線の天王寺駅の思い出は、オーバーランで車止めを破壊したことちょうど駅にいててすごい音がしたあと大騒ぎになったこと覚えてます
それは旧国鉄時代の1982年とJR西日本になってからの1989年に起きましたね。by酒向正也
貴重な配信ありがとうございます🙏クリーム色と紺色の快速…いや〜懐かしいなぁ〜😊。紀勢線がまだ電化されてなかった頃は特急くろしおや急行はディーゼル車両だったんだよねぇ😅。
貴重な作品、ありがとうございます。もう半世紀経つのですね。年齢がわかりそうです。あの頃の阪和線紀勢線は急行きのくにや紀州が主役だったと思います。また夜行のはやたまが釣り客に人気でした。
本当に懐かしいです。私もキハ81の時代ですね。1番線に立ち食いそばがあって、美味しかった記憶があります。専用改札はあったかな?でも優等列車のホーム!って感じでしたね。基本的には変わっていない阪和線ホーム、でも車両は大きく変わり、雰囲気も変わってしまいました。おしゃれになったのかな?有難うございました。
子供の頃鳳〜天王寺70系乗りました!トイレが汚物処理タンク無しで垂れ流しでしたね😂
懐かしい^_^この頃は南紀方面に帰る夕方のきのくにに乗る為に1時間以上ホームに並んでた記憶が
冒頭の58 タイフォンカバーが左右違うの初めて見ました
懐かしいです。小学生だったあの頃、ほとんど特急にしか興味がなかったですけど旧型国電も撮影していたならと思いますね。
381系くろしお展示会、写真に写っている子供さんたちはまさか自分が50歳位になるまで、第一線で活躍するとは思ってもみなかったでしょうね。
素晴らしい画像ありがとうございます!やっぱり昭和の方が活気がありましたね😊
70系だったか床が板張りでワックスがけしたばかりの日はツルツル滑るしにおいもきつくてまいった。うどん屋はプラのどんぶりで売っていてホームで立ち食いしてましたね
天王寺うどん、めちゃうまかったおかわりしたしw
天王寺〜名古屋を直通するくろしおと紀州が1日一本ありました。あとは準急きのくにで京都発奈良、橋本経由や南海難波発もありました。夜行もありましたね。名古屋と天王寺から。湊町発でしたかね?
103系を見てると、最近まで走っていた和田岬線を思い出します(笑)
阪和線天王寺駅内に特急乗り場に中間改札がありました、この頃の写真と資料があります。
周りの風景が懐かしいです
くろしお懐かしい!
新快速 天王寺--> 鳳 --> 和歌山 で 45分 という驚異的ダイヤ やった途中数分遅れても、和歌山には定刻到着という無茶ぶり当時の特急くろしお号(和歌山以遠非電化なので気動車) 天王寺--> 和歌山 よりも数分早いにもびっくり!阪和線ではないけど、関西本線は非電化で通勤型気動車が王寺・奈良方面に行ってました逆は湊町が終点で、快速などなくて鈍行のみその後 湊町~奈良間 電化複線化で快速が登場しましたね懐かしい。
弟とその友達、計4人で大阪駅と天王寺駅で撮り鉄をしてました。当時は全員(他の撮り鉄さんも)ルールを守り、駅員さんも怒ることはなかったです。ただ弟たちが小学低学年だったので、構内を走り回ってるときは注意しました。他の皆さんも利用客に配慮して撮影してました。利用客の方も撮影に配慮して迂回してくれたり、少しの間なら立ち止まってくれたり、撮り鉄もちゃんと挨拶して速やかに道をあけてました。ルールを守ると駅員さんも運転手さん、車掌さんもサービスしてくれました。何気にポーズとったり?写真の邪魔になれば姿を隠してくれたり(数秒ですが)深夜の快速に乗るのが夢でした。
この頃から4.5番ホームの間に屋台のそば屋あったんかな🤔
屋台のうどん屋ありましたよ、写真を撮っておけばと悔んでいます
阪和線に新快速が走っていたんですね😮
来年に引退する381系国鉄色「やくも」ラストランで「回送」への幕回しで是非、「くろしお」表示のサプライズをお願いします✨
冒頭のキハ58の「急行」の「急」の文字が突き抜けてますね(京阪のムック本で突き抜け「急」に言及してたな)
2:20ここの連絡線はもうありませんよね
なごりはあるようですが、もう使えないようですね
ブルドック懐かしい‼️
国鉄天王寺駅では昭和47(1972)年04月01日(土曜日)から昭和48(1973)年09月30日(日曜日)までの間国鉄関西本線は電化していましたか教えてくださいお待ちしてます、
たしか1968年(昭和43年)に関西で初めて103系が投入された線区が阪和線でしたね。
古き良き時代
幼少期のころ、親に連れられて赤錆の快速車両に乗りました。確か床が板で、車両真ん中に支柱があったと記憶しています。勘違いでしたらすみません。
ポールダンスの棒のようなものが、乗客が掴まるように真ん中に屹立していましたね。床は木です。改札も木だったころもあり、大阪市内の友達からは阪和線=田舎と思われていました。
将来的には阪和線ホームも地下化されるかも知れませんね。なにわ筋線と一体化して新大阪まで直通すれば新幹線とのアクセスも向上しますから。
なにわ御苑というラブホテルの名前が、何とも“昭和感”満載で…(^_^;)
皆さんもコメントしている様に、優等列車ホーム先端にあった、うどんの屋台。美味かったなぁw特徴あるプラ容器でねw
写真を撮っておけばと後悔しています
2:08 東部市場前ないー。
阪和線はかつて吊り掛け式モーター採用の70系や72系が在籍していましたがこれらの車両は老朽化及び性能の劣化が著しくかねてからスカイブルーの103系に置き換えられて1977年に姿を消しました。またくろしおに使用されていたキハ82系は紀勢本線新宮~和歌山間の電化・高速化により振り子式の381系特急電車に置き換えられました。そして今はこれらの車両はもう姿を消し、くろしおは283・287・289系をまた阪和線の快速や普通では:トイレ付の転換式クロスシート(1+2列)の223・225系を使用されています。by酒向正也
昭和50年であれば「はやたま」かもしれませんね。
天王寺ってこれよ
阪和線は昔、非電化路線!?😲
阪和線は電化されていたけど、特急・急行は和歌山以降の当時非電化の紀勢本線以降も走るのでキハが走ってたw(特急はくろしお、急行は紀州ときのくに)紀勢本線の電化後に165系きのくにというレアなのにも乗った記憶があるw
後ノリやしバタバタ帳尻合わせ
キハ58の急行列車はカッコイイですね。顔や色も素晴らしいですね。
懐かしいですね。
この頃の阪和線はくろしおが全て天王寺発着で381系車両がめちゃくちゃカッコよくてホントよく阪和線ホームの優等改札の外から眺めていました。
屋台の立ち食いうどんがまた旨かったです。
あと阿倍野近鉄百貨店のロゴマークが懐かしい。
貴重な映像ありがとうございます🤗
天王寺1,2番ホームの詰めにあった立ち食いうどんのことなら語らせてください。
屋台で火種が弱いので(練炭?)出汁はぬるめなのですが、うどんを入れるプラスチックの椀が小さめでうどんが鉢から盛り上がっていました。注文すると先に割り箸と七味をくれ、順番にどんどんうどんあるいはそばが渡されていくのです。もちろん、椀がちいさいので七味の袋を破いて全部入れると多いのですが、椀からはみ出たうどんと七味、ぬるめの出汁の味が忘れられません。わたしは、朝、登校時に食べていました。朝は、わたし同様、出勤前のサラリーマンが多かったです。
懐かしい1976年
キハ82くろしお乗って白浜まで家族旅行しました。
当時ホ―ム後ろ寄り車両止めあった付近で
立ち食いうどんスタンドで みんなで蕎麦を食べてから くろしおに乗りましたよ
ディ―ゼル煙と匂いと
動物園からの匂いが
する紀勢線ホ―ム味があって良かったです‼️
立ち食いうどん私も何回も食べました。今はリニューアルされて綺麗な店舗になってますが、天王寺によると必ず食べたくなるお店です。向かって反対側には売店が並んでて、シュークリーム売ってました。最近その売店は閉店されたそうで残念です。
@@kkh400
はじめまして
立ち食いうどん知ってる方がいてうれしいです。
旅の前の一杯格別ですよね
ありました反対側に
売店やシュ―クリ―ムの
店
懐かしい記憶が甦りましたよ
あの時代に戻りたいですね
@@Lucky-tw4xe 本当に、私も1980年代に戻りたいです。駅で食べるそばはなんであんなに美味しかったんだろう。
幼少の思い出。
うどん屋と四角いお茶が贅沢でした。
天王寺の阪和線のホームにあった立ち食いうどんは出汁が美味しくて
出張で来たビジネスマンが魔法瓶に出汁を入れてもらって持ち帰るほどでした。
懐かしい映像ありがとうございます。子供の頃、新宮のおばあちゃん家行く時に母とよく乗りました。たしかあの頃は改札付近に立ち食いうどん屋がありましたよね? ディーゼルの排気ガスの匂いとうどん屋の匂い、懐かしいです。
有難うございます
特に、そのうどん屋さんには想い出があり、写真を撮っておけば良かったと悔やんでおります。
急行きのくにの車内のなんとも言えない焦げたような匂い、それでいて温かみのある匂いは忘れられません。現在でも稀にこのキハに乗る機会があるけどなぜか無臭に近いのです。
紀勢線直通ホームから出かけるのがなつかしいです。旅に出る実感。車止め横の立ち食いうどんを毎日帰りに食べていたバブル全盛期です。
南紀直通列車のホームだった天王寺駅①②番ホーム…ディーゼルのくろしお、きのくに…阪和線の電車ホームからは当時は新鋭だった113系や旧型国電の快速や区間快速が出て…夜になれば客車の南紀号が現れ…今の若いファンが見たらヨダレモンでしょうね😄✌️
機関車付け替えで渡り線降りて寺田町駅の横まで入れ替え作業で使ってました。見に行くのがうれしかった
いやー懐かしすぎます。ちょうどこのころ美章園に住んでいて鉄道大好き小学生でした。EF58の写真は愛称が一時なかったころの「はやたま」の機回しかな?ただ、そうなら客車つきの推進運転の筈なので、ちょっとよくわかりません。「南紀」は天王寺には無かったように記憶してます。確か竜華から回送してきたら、地上線(環状線の脇)で付け替えしていたので、58が単機で来るのが・・・。また、旧型電車もたまらない。屋根補強のために客室中央に鉄棒が縦に立っていて、よく360度急回転で鬼ごっこやったなー。1番線の機回し線、存在の記憶が怪しかったのですが、鮮明に思い出しました。鉄道荷物の搬入口もありましたし、専用改札など本当に見どころの多い駅でした、現在からは考えられません。くろしおやきのくに号、本当に超大編成、先頭にキハユニを繋げてるのもあったかなー。貴重な写真、実にありがとうございます。
有難うございます。私も小学生でほぼ初めて撮った写真になります。
この専用改札あたりのうどん屋さんで、「きつねそば」とこれも初めて頼んでみたのですが「たぬきやろ!」とおばちゃんに叱られた?のが未だに忘れられない懐かしい思い出です。
@@hawk2567 昭和47年なら、素うどんは1杯 40円 でした(ネギと蒲鉾1切れ入り) ああっ、腹減ってきた
懐かし写真。ありがとうございます。当時、毎日天王寺駅を利用していまし。
和歌山駅発の113系【新快速】に一度だけ乗車した事が 有ります。ドアが閉まると同時に“爆走モード”に突入!
「モーターが焼け焦げる!」位のフル回転音と「脱線する!」程の激しい横揺れ…。何せ、途中『鳳駅』にも停車して僅か45分間で終点の天王寺駅に到着しないといけないのですから…。
“スリル”と“恐怖”
そして“緊張感”の味わえる一時でした。懐かしいなぁ~(笑)
まだ「きのくに号」が準急だったとき父母と一緒に白浜いったのを記憶してます、いろんな電車にワクワクしたものです。父は死んだが母は今も元気です
俺は鉄道オタクでは、ないけど、、、見た。
本当に懐かしい。ありがとう。
考えたら電車は私達の生活に密着してるなぁ。本当に良い物見せていただいた🎉
阪和線ホームに立ち食いうどん屋さんが有って、出汁の良い匂い釣られて、よく食べてました、懐かしい
そう!全く同感です!意外と美味くて賑わっていた記憶があります。あの当時はいろんな型式の車両があったんですね。
ちなみに僕はディーゼル車両のくろしお号は乗った事も見た事もありません。記憶には381系くろしお号“振り子電車”とも言われていた車両しか残っていません。
その頃の急行きのくには、途中の和歌山駅で南海なんばから南海仕様の急行型気動車2両<南海線内は特急扱い>と連結して南紀方面へ走行していた。
昔の近鉄百貨店の場所が今は天王寺ミオで見えないなぁと思ったら、引いてくれてハルカスがど~んと現れたのが印象的
天王寺懐かしい
懐かしいですね。子供の頃、白浜へ海水浴に出かけた事が思い出されます。
天王寺駅が、頭端式ホームなので、優等列車などに乗ろうとすると、これから旅に出るんだな という実感を強く持ちました。阪和線等には、まだ旧型国電がたくさん走っていました。夜には、EF58牽引の夜釣り用の普通列車の夜行列車も出ていました。その機回し線でしょうか?
紀勢線では、紀勢線昭和53年10月の電化完了後にも、阪和線から直通してくるキハ58系等急行「きのくに」(昭和60年3月改正で廃止。夜行列車や臨時列車は除く。)や、もっと古い時代より南海電鉄から和歌山市駅を経て紀勢線に乗り入れていた南海電鉄のキハ5500系の非冷房で夏は窓全開急行の「きのくに」(昭和60年3月改正で終了)の記憶も忘れられません。
阪和線の貨物列車等は竜華(りゅうげ)機関区などのED16,EF15,ED60などでしたが、さらに古い時代には、竜華機関区のEF52なども走っていました(貨客とも)。EF52はその後、昭和40年代後半ごろに、EF58に置き換えられました。
天王寺駅の阪和線ホームでは、近年まで特急くろしお号の発車時間近くに「くろしお号は、15番のりばからの発車です。このホームからの発車ではございません。」とアナウンスが入っていました。
かつて、優等列車の発着専用ホームであった事を偲ぶことが出来るものでしたが、いつしか聞かなくなりました。
生まれる前の阪和線の姿が見られて楽しかったです!
紀勢本線ホームの①番線②番線は、ホーム高さが920㍉でその他の国電ホームは1100㍉だった記憶がありますが、紀勢本線新宮電化後に全てのホームを1100㍉に統一しましたね。
天王寺駅・・・今も昔も変わらないなと思いましたが、こうして比較すると、各ホームにありました丸形大時計も消えてしまい、環状線からの連絡線も消え、1・2番の優等列車ホームも専用改札が消えて活気も消えてしまいました。そういえば、天王寺名物だった屋台のウドン屋さんも無くなってしまいましたね。
うどん屋さんやはり屋台のような感じでしたよね、凄く印象に残っています。
あと、鳩が沢山いたのに今は全くいませんでした。
私が小学校~中学校時代の天王寺駅と現在の天王寺駅で劇的に変化しました。
1983年の快速8両運転によるホーム延長とこ線橋整備に伴い1番線横の着回し線をなくしてホームを北側にスライドさせたこと、近鉄百貨店が高層ビルあべのハルカスに生まれ変わったこと、そして何よりも天王寺駅に発着する車両の世代交代が印象的です。国鉄時代を知る車両も、今はもういません。
一番線ホームはスライドしたんですね。屋根の柱が昔と違っていたので不思議に思っていました。
@@hawk2567 5・6番ホームと7・8番ホームの終端が狭くて跨線橋を掛けるスペースがなかったため、機回し線を寺田町寄りに移設して撤去し、ホーム移設および拡張スペースを確保しました。
そのため4・5番線は屋根の中心から北側に大きくずれることになりました。
1982年に「はやたま」乗ったら、その工事の為にB寝台が所定2両から減車で1両になってました😉
屋台のうどん屋さん、おいしかったですね。練炭のにおいさせて営業されてました。
今とさほど変わっていない天王寺駅、くろしおの381系を迎えるファンも常識的に白線の内がからの写真撮っていますね。いい時代❣️
駅北口の猪木工務店のビル看板(同社のテナントビル)は、ロゴが変わったが現在もあります
懐かしい😂国鉄天王寺駅 ‼️
当時の特急、急行は長い編成で今と比べられない多くの人々を乗せ紀州路の主役として
君臨していました。
阪和紀勢線一番国鉄線で好きでした。くろしおのカッコよさきのくにそして70系や旧国電、103も113系…桃ヶ池公園で魚釣りしながらくろしおや70系が来るとワクワクしましたよ、何時か乗りたいと…その後夏和歌山の友達の親戚とこに泊まり、行きはきのくに、帰りは紀伊田辺からくろしお、10両編成でしたが先頭車は82。そして何と食堂車で食事しました!今でも忘れられないシーン。
ちょっと鉄に興味を持ちだした頃(小学校高学年)阪和線と片町線は旧型国電まだいたのになぁ^^;
昭和53年以降はめったに見なくなってた^^;
くろしおブルドッグのさよなら運転(さよならサボがないから昭和53年の10月1日)を山中渓の駅付近で撮ったものがあるが
その時の行き帰りも旧型国電の記憶がない^^;
私もキハ81さよなら運転を紀の川の鉄橋で撮影した写真を見つけましたが、確かに旧国電は既にいなかったようですね。
阪和線の天王寺駅の思い出は、オーバーランで車止めを破壊したこと
ちょうど駅にいててすごい音がしたあと大騒ぎになったこと覚えてます
それは旧国鉄時代の1982年とJR西日本になってからの1989年に起きましたね。by酒向正也
貴重な配信ありがとうございます🙏クリーム色と紺色の快速…いや〜懐かしいなぁ〜😊。紀勢線がまだ電化されてなかった頃は特急くろしおや急行はディーゼル車両だったんだよねぇ😅。
貴重な作品、ありがとうございます。もう半世紀経つのですね。年齢がわかりそうです。あの頃の阪和線紀勢線は急行きのくにや紀州が主役だったと思います。また夜行のはやたまが釣り客に人気でした。
本当に懐かしいです。私もキハ81の時代ですね。1番線に立ち食いそばがあって、美味しかった記憶があります。専用改札はあったかな?でも優等列車のホーム!って感じでしたね。基本的には変わっていない阪和線ホーム、でも車両は大きく変わり、雰囲気も変わってしまいました。おしゃれになったのかな?有難うございました。
子供の頃
鳳〜天王寺70系乗りました!トイレが汚物処理タンク無しで垂れ流しでしたね😂
懐かしい^_^この頃は南紀方面に帰る夕方のきのくにに乗る為に1時間以上ホームに並んでた記憶が
冒頭の58 タイフォンカバーが左右違うの初めて見ました
懐かしいです。小学生だったあの頃、ほとんど特急にしか興味がなかったですけど旧型国電も撮影していたならと思いますね。
381系くろしお展示会、写真に写っている子供さんたちはまさか自分が50歳位になるまで、第一線で活躍するとは思ってもみなかったでしょうね。
素晴らしい画像ありがとうございます!やっぱり昭和の方が活気がありましたね😊
70系だったか床が板張りでワックスがけしたばかりの日はツルツル滑るしにおいもきつくてまいった。うどん屋はプラのどんぶりで売っていてホームで立ち食いしてましたね
天王寺うどん、めちゃうまかったおかわりしたしw
天王寺〜名古屋を直通するくろしおと紀州が1日一本ありました。あとは準急きのくにで京都発奈良、橋本経由や南海難波発もありました。夜行もありましたね。名古屋と天王寺から。湊町発でしたかね?
103系を見てると、
最近まで走っていた和田岬線を思い出します(笑)
阪和線天王寺駅内に特急乗り場に中間改札がありました、この頃の写真と資料があります。
周りの風景が懐かしいです
くろしお懐かしい!
新快速 天王寺--> 鳳 --> 和歌山 で 45分 という驚異的ダイヤ やった
途中数分遅れても、和歌山には定刻到着という無茶ぶり
当時の特急くろしお号(和歌山以遠非電化なので気動車) 天王寺--> 和歌山 よりも数分早いにもびっくり!
阪和線ではないけど、関西本線は非電化で通勤型気動車が王寺・奈良方面に行ってました
逆は湊町が終点で、快速などなくて鈍行のみ
その後 湊町~奈良間 電化複線化で快速が登場しましたね
懐かしい。
弟とその友達、計4人で大阪駅と天王寺駅で撮り鉄をしてました。
当時は全員(他の撮り鉄さんも)ルールを守り、駅員さんも怒ることはなかったです。ただ弟たちが小学低学年だったので、構内を走り回ってるときは注意しました。他の皆さんも利用客に配慮して撮影してました。
利用客の方も撮影に配慮して迂回してくれたり、少しの間なら立ち止まってくれたり、撮り鉄もちゃんと挨拶して速やかに道をあけてました。
ルールを守ると駅員さんも運転手さん、車掌さんもサービスしてくれました。
何気にポーズとったり?写真の邪魔になれば姿を隠してくれたり(数秒ですが)
深夜の快速に乗るのが夢でした。
この頃から4.5番ホームの間に屋台のそば屋あったんかな🤔
屋台のうどん屋ありましたよ、写真を撮っておけばと悔んでいます
阪和線に新快速が走っていたんですね😮
来年に引退する381系国鉄色「やくも」ラストランで「回送」への幕回しで是非、「くろしお」表示のサプライズをお願いします✨
冒頭のキハ58の「急行」の「急」の文字が突き抜けてますね(京阪のムック本で突き抜け「急」に言及してたな)
2:20
ここの連絡線はもうありませんよね
なごりはあるようですが、もう使えないようですね
ブルドック懐かしい‼️
国鉄天王寺駅では昭和47(1972)年04月01日(土曜日)から昭和48(1973)年09月30日(日曜日)までの間国鉄関西本線は電化していましたか教えてくださいお待ちしてます、
たしか1968年(昭和43年)に関西で初めて103系が投入された線区が阪和線でしたね。
古き良き時代
幼少期のころ、親に連れられて赤錆の快速車両に乗りました。
確か床が板で、車両真ん中に支柱があったと
記憶しています。
勘違いでしたらすみません。
ポールダンスの棒のようなものが、乗客が掴まるように真ん中に屹立していましたね。床は木です。改札も木だったころもあり、大阪市内の友達からは阪和線=田舎と思われていました。
将来的には阪和線ホームも地下化されるかも知れませんね。なにわ筋線と一体化して新大阪まで直通すれば新幹線とのアクセスも向上しますから。
なにわ御苑というラブホテルの名前が、何とも“昭和感”満載で…(^_^;)
皆さんもコメントしている様に、優等列車ホーム先端にあった、うどんの屋台。
美味かったなぁw特徴あるプラ容器でねw
写真を撮っておけばと後悔しています
2:08 東部市場前ないー。
阪和線はかつて吊り掛け式モーター採用の70系や72系が在籍していましたがこれらの車両は老朽化及び性能の劣化が著しくかねてからスカイブルーの103系に置き換えられて1977年に姿を消しました。またくろしおに使用されていたキハ82系は紀勢本線新宮~和歌山間の電化・高速化により振り子式の381系特急電車に置き換えられました。そして今はこれらの車両はもう姿を消し、くろしおは283・287・289系をまた阪和線の快速や普通では:トイレ付の転換式クロスシート(1+2列)の223・225系を使用されています。by酒向正也
昭和50年であれば「はやたま」かもしれませんね。
天王寺ってこれよ
阪和線は昔、非電化路線!?😲
阪和線は電化されていたけど、特急・急行は和歌山以降の当時非電化の紀勢本線以降も走るのでキハが走ってたw
(特急はくろしお、急行は紀州ときのくに)
紀勢本線の電化後に165系きのくにというレアなのにも乗った記憶があるw
後ノリやしバタバタ帳尻合わせ
キハ58の急行列車はカッコイイですね。顔や色も素晴らしいですね。